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7月号  『  人 との出会いが、人生を変える  』 Ⅴol.113

     7月号  『  人 との出会いが、人生を変える  』 Ⅴol.113



 みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿いたしたいと思います。

 



 さて今月も先月号に引き続き、自然災害についてのお話で始めさせていただくのが大変残念に思います。

人の人生というものは、『 一寸先は闇 』 というように、これから先のことはまったく予測がつかないものであります。



 先月6月18日に発生した大阪北部地震の際は、全国各地の加盟店の皆さんから、お見舞いのお電話など頂戴いたしました。その中に広島県の坂町で営業されている酒匠米匠おかの店 岡野氏から 「大阪の地震、大丈夫でしたか・・?」 というお電話を頂き、その時に 「 東大阪店では、大事には至らなかったですよ」 とお応えしたものでした。



 そのご心配頂いた岡野さんのお店が、1ヶ月後大変なことになってしまったのです。7/6 頃から大きな被害をもたらした西日本豪雨災害であります。お店の前の小さな川が大氾濫、何台もの乗用車が上方から流されてきたり、流木が前の橋にひっかかり、次々と重なり合って大きな被害をもたらしたようです。

 



 今回は、逆に私の方からお見舞いのお電話をしますと、奥さんや子供さん達と避難所に逃れておられ、眠れぬ夜を過ごされたようです。家屋や配達車はどうなっても、とにかく家族全員命だけは助かった ということで元気よくお応えされておられました。本当は悲痛な思いなんでしょうが、気丈なあの対応をみた時にさすが一家の主、頼りになる存在だなと思わせていただきました。



 幸いにして、広島の他のメンバーである中尾さんや高橋さんには、被害が無く安堵いたしております。ただ夏の繁忙期が終わりましたら、一度広島に出かけ、皆さんにお見舞い申し上げてまいりたいと思っております。特に、岡野さんにおかれましては仕事関係について、ご相談も受けてまいりたいと思っております。



 あらためてこの度は、岡野さんも含めて被災された方々に対して心よりお見舞い申し上げます。





 さて話しは変わりまして、東大阪店での夏商戦の進捗状況をお話しさせていただきたいと思います。夏ギフトにつきましては何とか大口ギフト客の皆さんは昨年並みにご注文をいただき順調に流れております。ただいかんせん、新規ギフト客をなかなか獲得できず、プラスアルファにするのには苦戦しております。

 



 特に今年は食品ギフトの食いつきが悪く、そのため粗利益率の向上もままならず期待通りには推移しておりません。ただお店全体では、業務店の新規が増えたり、宅配要望の一般家庭客が増加したりいたしまして昨年並みの売上・利益額は確保できそうであります。また酷暑の影響であるのか配達を希望されるお客様が増えていてフル回転で走り回っております。



 ただ悔しいことに、私の体は疲労困憊で悲鳴をあげております。月一回ペースで、1時間2980円のもみほぐしマッサージにも行くんですが、やはり歳のせいですか疲労回復にとまでは、いっておりません。いよいよ肉体労働もあと何年出来ることやら・・・、と言ったところです。

 



 今後、松藤店長や勝間田・堀井チーフの邪魔をしない程度で、若いスタッフ達のパワーを貰いながらこれからも気合を入れて従事していきたいと思っております。特に、『口を動かす前に体を動かす』 ⇒ 口から生まれた私には、これがなかなか難しい事なんですが、出来るだけ努力して寡黙で素直なシルバー人材 に徹したいと思っております。





 さて、今月のテーマは、『 人 との出会いが、人生を変える 』 とさせていただきました。このフレーズは、ブログ徒然日記そのものの基本テーマ なのですが、改めて今月号で人との出会いのエピソードの一例をご紹介したいと思います。



 その人とは、現在㈱グッチートレーディング社長をされておられる川口吉彦氏であります。彼との出会いは今からさかのぼる事37年前、昭和56年の頃であります。そして、彼もいよいよ本年7月7日にめでたく還暦を迎えられ、そこで60歳のお祝 にと先日身内の者たちでささやかなる祝宴を催しました。

 



 皆さまご存知の通り、川口氏の長男の和也君がドリーム本部の商品部スタッフとして現在従事してもらっておりますが、親子で私と仕事にご縁があるのも珍しい事ではないかと思います。そもそも川口氏との出会いは、彼のお父さん(和也君からは、おじいちゃん) と私が20代のころから民謡教室の関係でお付き合いがあり、そのお父さんからの紹介で当時イノウエ酒販に従事していただいた経緯があります。



 当時、彼は若干23歳でして、私が8つ上の31歳の頃でした。大学を卒業して2年目ということでまだまだ初々しさが残っておりましたが、初めて二人で会話を交わす中で、なかなかの器であるな と感じ取れたのを今でも覚えております。



 彼のイノウエ酒販での最初の仕事は、店舗前の掃除からでした。それも私や家内の指示なしで、自主的にほうきをもって掃除をやりだして、ビックリしたものでした。なかなか機転の利く男の子だなというのが私の第一印象でありました。その後、彼の頑張りでイノウエ酒販はうなぎのぼりで業績が向上いたしました。



 その頑張りの内容を披露すると数え切れませんが、その中には私の運命やイノウエ酒販の浮沈 にかかわる劇的なドラマがそこにあります。おそらく彼がいなかったら、イノウエ酒販や今のドリーム東大阪店は存在しなかったと思います。当然、ドリームチェーンという組織も誕生していなかったと思います。そもそも
ドリームという屋号 も彼が名付け親なんです。



 今思えば、彼との出会いが私の人生を大きく変えていったのです。それも最善の方向へと・・・・。私の仕事の師と仰ぐ、酒販店情報ネットワークシステム ( I N S ) の野端氏や坂口氏に出会ったのも、彼の強いI N S入会希望 からでした。このお二人との出会いも私の人生を大きく変えて頂きました。でも元をただせば川口氏がキッカケを作ったのです。



 I N Sに加盟し、酒販活動していく中で、次にこれまた出会いがあったのが、アサヒビールの幹部の方々でした。特にその中でも大阪支社副支社長をされていた山田氏とは、何か因縁の出会いのようで、お会いするたび、カルチャーショックの連続でありました。



 山田氏とのエピソードは、2009年2月号で詳しく掲載いたしております。お時間があれば9年前の『徒然日記』をお読みいただければと思っております。実は、この 山田氏との出会い を回顧して『徒然日記』 というブログをスタートさせた訳であります。

 



 本当に私は、いろいろな方々との出会いの中で楽しい有意義な人生を歩ませていただき、そして成長させていただけたと実感しております。今現在は、ドリームというチェーンビジネスを起業して全国の加盟店様とめぐり合い、その出会いの中で商売の話を語り合い、それぞれの思いを共有できている気がいたします。



 そのような環境をもてる要因として、ふと考えてみると、やはり良き人間関係作り、そして相互理解に尽きるような気がいたします。老若男女・肩書の上下に関係なく、お互いリスペクトし合い、それぞれの持ち味を活かし合って相互依存出来る仲間がいることが、人生を楽しいものにして仕事もプラスの方向へいくような気がいたします。



 51歳という若さで無念にも他界されました山田氏からプレゼントされた詩集 『 にんげんだもの 』 著・相田みつを の中にこのような詩の一節があります。

 【書籍からの引用】相田みつを 「にんげんだもの」文化出版局 1984年 5ページ



 そして山田氏からプレゼントされた記念すべきものが、もう一つあります。それが先ほどの還暦祝い集合写真の中にあったワイン 『ジュヴレ・シャンベルタン 』 なのです。今回抜栓したメーカーとは違いますが、今から29年前私が39歳、川口氏が31歳の時に、アサヒビールさんが当時輸入されていたワインを頂戴いたしました。これが川口氏と共に二人の懐かしい思い出のワインとなっているのです。



 話しは変わりますが、川口氏がイノウエ酒販に入社した時(23歳) は、イノウエ酒販の年商は約5000万円ぐらいでありました。一般酒販店と同じく夫婦で回しながらの売上としては当時 定価販売 ( 利益率20% ) でしたので、親子5人なんとか生活は出来ておりました。ただ更にお店を大きくしたいという思いで川口氏共々必死で頑張りました。



 そして8年後1989年の年初会議(1/5)で、今年は売上目標を2億円 にしようということに決定しました。当時売上規模も毎年右肩上がりで好成績を残しておりました。従業員も白川君という若い正社員も増え、さらには石川県と埼玉県の酒販店の子息を二人、酒販研修生として三年間お預かりしておりましたので、機動力としては十分でありました。



 そして全員で2億円にすべく新規開拓を積極的に一年間実践して、なんとその年12月29日に2億円を突破 したのでした。そのような一連の話を秋ごろからアサヒビールの山田氏と会うたびに話しをしておりましたので、山田氏が気に留めて頂き、12月24日のクリスマスイブの日に「もし目標達成したら、このワインで乾杯して下さい!」
とお店までお持ちいただいたのが、『ジュヴレ・シャンベルタン 』 だったのです。

 



 12月31日、一年の仕事が終わった時に全員で乾杯したワインの味は、今でも忘れられません! 今となれば、初めて口にした『ジュヴレ・シャンベルタン 』 は、山田氏から贈られた川口氏と私への永遠のエンブレムではないかなと思っております。



 あれから、29年が過ぎ今回の川口氏の還暦祝いで口にしたワインは、あの時のような感動はなかったのですが、二人ともあの時代を思い起こしながら、美味しくいただきました。今となれば、彼は60歳、私は68歳、あの時の勢いや生意気さはもう過去のものとなり、孫の話をすると目を細めながら語る老人となってしまいました。ただ、幸いにも二人とも毎日何かと忙しく仕事をしておりますので、老人ボケとまではいっておりませんので、ご心配は無用でございます。



 どうぞ皆さまも人生の中でいろいろな方との出会いを大切にされて、そしてその関係性を育んでいただきたいと思います。そして何年何十年かした時に昔を懐かしみながら美味しいお酒でも飲んでいただければ と思います。もし良ければ、その中に私もひとり加えていただきましたら、さらに嬉しい限りでございます。



 最後になりますが、毎回のようにご紹介している マハトマ・ガンジーの言葉を引用して今月の投稿を終えたいと思います。

 

 



         今月もご覧いただき誠にありがとうございました。