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2 月号    『  友 情  』    Ⅴol.144

 2 月号      『  友 情  』      Ⅴol.144



 みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿いたしたいと思います。



さて、今年も早や2ヶ月が過ぎようとしております。そしてあちらこちらで梅の花が満開となり、いよいよ春到来といったところでしょうか。ただこの季節の変わり目は、気候が安定せず、秋季の
『 女心と秋の空 』 に対して春の場合はよく 『 三寒四温 』 という言葉が使われます。



日本においては、2月下旬から3月初旬にかけて寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日 ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される 現象のことを指すようです。気象学的には、春先にシベリア・中国からの冷たい低気圧と南から太平洋高気圧が交互にやってきたときの気温の周期的な変化、という意味合いであります。

 

 



 さてそんな不安定な気候の中、相変わらずコロナ禍の脅威は収まる気配はありません。ここに来て各種ワクチンが海外より輸入され徐々に拡がりを見せ、それなりの効果が現れてくると思われますが、我々の商売に対しての影響は料飲店様中心に好転する様相はありません。



 そのような中で先日日経新聞を見ておりますと次のような記事がありました。

 



 ローソンは4日、米ウーバーテクノロジーの料理宅配サービス「ウーバーイーツ」で処方箋が不要な一般医薬品(大衆薬)の宅配を始めた。ウーバーが医薬品を取り扱うのは国内で初めて。ローソンは、すでに店内の食品などをウーバーイーツで届けるサービスを展開している。



 コロナ禍で在宅勤務や外出自粛が広がるなか、宅配の品ぞろえを拡充することで消費者の利便性を高める。  (中略) ローソンは2019年8月に国内のコンビニで初めてウーバーイーツを導入した。新型コロナの感染拡大に伴う巣ごもり需要で利用は急増し、対応店舗は28都道府県の約1500店まで拡がっている。

 





 とありました。これがコロナ禍という特殊な時期だからなのか、今後常態化していくのか、私自身判断しづらいところですが、同日の日経新聞の海外版でこれまた次のような記事がありました。

 



 [シリコンバレー発] 米ウーバーテクノロジーは北米でアルコール飲料の宅配サービスを手掛ける米ドリズリーを買収によって完全子会社化すると発表した。買収額は11億ドル(1150億円)。買収後は取引先の酒販店を料理宅配サービス「ウーバーイーツ」に取り込み、新型コロナウィルスの影響で市場拡大が続くワインやビールなど小口物流事業を強化する。





 とありました。この二つの記事を合わせますと、いずれ日本においてもローソン等各地に展開するコンビニが酒類やその他飲料・お米など重量物も含めて小口物流拠点となり、ウーバーイーツが配達するという社会システムが構築 されることになるであろうと予想されます。



 なかなか販売価格とコスト・在庫スペースとの兼ね合いでいくつかのハードルは越えていかなければなりませんが、今の流れからすると間違いなくシステム化されるのは時間の問題でしょう。



 さあ、どうしたものでしょうか。われわれの5年後の業態 ( 販売システム ) は、どのようなものに進化させていかなければならないのか、具体的に青写真を描いていかなければなりません。しかも早急に・・・。



 これからの先行きが不安というよりも、何か気合いが入りませんか! コロナという忌まわしい疫病のため、世界中が混乱している中、いずれ収束した世の中で社会システムがどのように変化し、またその推移の中で各分野での優勝劣敗がはっきりしていく様を想像すると、何かこれからの商売が面白くなってきます。



 今こそ我々チェーン各店の情報交換を活発化し英知を結集して一つずつ一つずつ進化してまいりましょう。必ず道は開かれてまいります。将来を見据えながら今できることをコツコツと積み重ねていく事が大事となります。5年後、粗利益率25.0%の業態作りを目指して共にがんばりましょう!





 さて今月のテーマは 『 友 情 』 とさせていただきました。先日、新大阪駅前の総合病院に定期検診のため出かけてまいりました。久しぶりの新大阪行きでしたので、検診前にむかし出張時新幹線の中で読むために購入していたいつもの本屋に入り、読んでみたい書籍を探してまいりました。



 その本は、今月よりNHKの大河ドラマが新しくスタートした 『 青天を衝け 』 というタイトルの番組内容を紹介した書籍類でした。そのドラマの内容は、新一万円札の顔としても注目される 渋沢栄一 (吉沢亮) を主人公とした幕末から明治へと、時代の大渦に翻弄され挫折を繰り返しながらも、青天を衝くかのように高い志を持って未来を切り開いた渋沢栄一の姿を描くものであります。早速、一冊買い求めました。

 



 ただ、せっかくの機会でしたので店内を30分ほどウロついておりましたら、先月1月に発刊されました小さな単行本を見つけました。8年前にノーベル生理学・医学賞を受賞されました
i PS細胞の山中伸弥教授と残念ながら4年前に若くして亡くなられた日本のラグビー界スーパースター平尾誠二氏の奥様恵子さんの共著 『 友 情 』 であります。



 三年前刊行された同名の改訂版なんですが、思わず手が出てもう一冊買ってしまいました。そして、さっそく病院の待合室で渋沢栄一氏よりも先に山中教授の本のページを開きました。長い人生の中でふとした中で、大切な人や書籍と巡り合うということは、このことだなと思わされた時間でありました。



 夢中になって読んでるうちに待合室にいることを忘れて涙がボロボロと出てまいりました。よく歳を取ると涙もろくなるといわれますが、まさしくその通りで恥ずかしい限りです。ただ私と平尾誠二さんのお付き合いの始まりは山中教授よりも古く、彼が伏見工業高校2年生の昭和55年1月3日花園ラグビー場から始まります。今から40年も前の話です。



 お付き合いと言っても彼とお話ししたことも直接お会いしたこともなくて、私が勝手にそう思っているだけなんですが、彼の高校・大学・社会人時代の試合は数多く見てまいりました。毎年1月15日に開催されていたラグビー日本一決定戦(国立競技場)には、神戸製鋼のラグビー観戦のため子供同伴で新幹線に乗って東京まで出かけたこともありました。前にもお話したことがありますが、その翌々日が阪神・淡路大震災でありました。



 話しは本の内容に移りますが、山中教授と平尾さんは同じ齢ということと山中教授が神戸大学医学部のラグビー部に所属していたという経緯もあり、彼らが48歳の時に 『 週刊現代 』 の雑誌対談企画 があり、初めて出会ったのが、 『 友 情 』 の始まりでありました。

 



 どちらかというと山中教授の方が平尾氏に対して、あこがれというか、よりリスペクトされてたようです。本の「まえがき」の一部をご紹介すると、



 ーーー 「世の中で人と人をつなぐ接着剤は友情しかない」 という言葉を聞いたことがあります。僕もまさにそうだと思う。利害なく人と人を結び付けられるのが友情です。僕は40歳を過ぎてから平尾さんと友情を育む事が出来て、人生にとって宝物のような時間を得る事が出来ました。

 平尾誠二は最後まで平尾誠二だったし、最後までカッコよかった。一人でも多くの人にそう伝えることが、僕の使命ではないかと思っています。ーーー



 山中教授が語っておられる平尾氏の凄さは単なるラグビーというスポーツから超越して、人としてどうあるべきか、指導者というものはどうあるべきなのかを現場を通じて泥臭く伝えられていることだと思います。



 51歳の9月12日未明に吐血され、翌日検査で末期がんと診断されて翌年10月20日亡くなられるまでの13ヶ月の闘病の中で、彼の生きざまそして奥様やお子様、そして山中教授たちの仲間としての支援等々、人が生きていく中で大切にしていかなければならない何かを体感できたような気がしました。



 生前、平尾氏が山中教授と対談され、お二人とも関西弁で楽しくかつ熱く語られている内容が掲載されておりますが、今コロナ禍で苦難に直面されている方々にも勇気を与えられるものとなっており、私自身も改めて周りの人たちに笑顔と活力を率先してお見せしていかなければならないと感じた次第であります。



 ここでお二人の親交の中で築かれた 『 友 情 』 とは、深い絆となって何事にも代えがたいものとなっております。私自身も振り返りますと、『友情 』 という言葉が当てはまるかどうかわかりませんが、ここまで生きてきて様々な方々に助けられ、元気を頂きました。老若男女問わず、加盟店様や本部・東大阪店の方々にも年上年下関係なく、『 友 情 』 と言える絆を結ぶことが出来たと喜んでおります。



 そういった意味でも、是非とも皆さまにこの本を読んでいただき、コロナで病んだこの閉塞感を “ なにくそ!” という気持ちで乗り越えていただきたいと思います。ラグビーのこともi PS細胞のこともあまり関心のない方々にもきっと励まされる一冊になると思います。



 最後になりますが、山中教授が 故 平尾氏の『感謝の集い』 の弔辞で読まれた中で、平尾氏が生前神戸製鋼ラグビー部監督をされていた時の 「 人を叱る時の4つの心得 」 をご紹介して今月の投稿を終えたいと思います。

 



          今月もまたご覧いただき誠にありがとうございました。



 [ P. S ]  いよいよ来月でもって最終回となります。本当に皆さま長い間ありがとうございました。