2月号 『 オリンピック アスリートから 学ぶ 』 Ⅴol.108
みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿したいと思います。
さて毎年この時期にアップしている2月号 『 徒然日記 』 の投稿内容を数年前のものから読み返しておりますと、例年ネガティブな話題から入り、最後には自分自身を鼓舞するように、みんなで我慢してスクラム組んで生き残りを図ろう!などと締めくくっていて、何とも焦燥感漂う2月号 になっております。
例えば、昨年は近隣競合店の倒産により、『棚ボタ』で何とか売上減をカバーできているといった他力本願的な事例をお話しさせていただきました。じぁ今年は・・・? と申しますと今年は昨年のような『棚ボタ』はありませんので、案の定深刻な売上減 に見舞われております。そんな訳で、2月号は傾向として明るい話題が見つかりにくい時期なのであります。
ただ今年の場合は、不思議と悩んではいる割に日々何かポジティブな気持ちにさせてもらっております。理由は、3つあります。一つは、松藤店長の現場復帰であります。現場に戻り、約半月ほどになりますが、日に日に勘が戻り、元気に業務に従事してくれております。やはり若い人の回復力は、素晴らしいものです。
2つ目は後ほど詳しく述べますが昨日25日に閉幕しました 『平昌(ピョンチャン)オリンピック』 での日本人選手の活躍であります。
各種目での活躍に非日常的な感動と人間ドラマを拝見させていただきました。改めて筋書きのないスポーツのダイナミックさと奥の深さを体感し、練習の苦しさに耐え本番で見せるひた向きな競技姿勢に励まされました。その姿から、私自身売上が厳しいからと嘆くのではなく、その事態をどうクリアして乗り越えていくのかが大切であるということをを教えてもらったような気がします。
さて、もう一つはオリンピックと同列にしては申し訳ありませんが、当店で2月からスタートしました 『北海道富良野のジャガイモ』の販促活動 であります。東大阪店では、私の指導不足もあり、近年販促活動というものが皆無でありました。
今回も私の方から各スタッフに対して何ら提案もしなかったのですが、勝間田チーフとパートの堀井さん二人で話し合い、今回はしっかり頑張ってジャガイモを売ろう!ということになったようです。そのためのバックアップは自分なりにさせてもらいましたが、今回自発的に販促活動を実施しようという思いを持ってもらえたのが本当にうれしかったです。
そして実施するからには、目標数を明確にしてその数字を細分化し、各個人の目標設定としていこうということになり、スタートいたしました。販売目標としては、昨年3月15日までの実績77セットに対して、今年は100セット超えということで決定いたしました。
ただいま 2/26 現在順調に推移して、昨年実績をクリアして何とか目標の100口は獲得できました。残り2週間ほどまだ時間がありますので、あと20~30口は上乗せできそうであります。販促キャンペーンはまだ終了していませんが、今回の好数字の成果としては、目標達成もさることながらスタッフみんなが楽しんでお客様と会話しながら、ご案内していることが何より評価できることであります。
売らされているという観念で実施していると自然とお客様にも伝わり、押し売りになりかねません。高3のアルバイト義川君が、配達時スナックのママさんに『アカンでもともと』で気楽に声掛けすると、快くご注文を頂いたという話を帰店後、その報告を受けるとみんなが冗談交じりで冷やかしながら、一緒に受注獲得を喜んでおりました。
本当にチームで取り組んでいるんだなという思いを持たせてもらいました。同時に仕事もスポーツも仲間の存在そしてその大切さを痛感させていただきました。そんな訳で今月のテーマでありますオリンピツクにおいての 『 チームワーク 』 というものを今回お話しさせていただきたいと思います。
皆様方の中でオリンピックに関心のあられる方は、連日のようにテレビで観戦し、一喜一憂しながら応援されておられたのではないでしょうか。特に、金メダル・銅メダルを獲得したスピードスケートやカーリングなど個々の体力では、欧米の選手よりもはるかに劣るにも関わらず、
『 チームワーク 』 にてメダルを勝ち取った彼女たちの姿を見て感動し、涙したのではないでしょうか。
話しは変わりますが、私の最も思い出の深いオリンピックは、さかのぼる事54年前、1964年東京オリンピックであります。私が中学2年生の時でありました。当時のアスリート人気NO.1は、当時ソビエト連邦(現ロシア)との決勝で見事勝利した東洋の魔女 女子バレーボールチーム の方々でした。日本国中が沸きに沸いた決勝戦でありました。
日本中が高揚したその他の競技もいくつかありますが、やはり印象深いのはエチオピアの裸足のランナー アベベ選手が金メダルを獲得したマラソン競技でありました。そのマラソンレースにて見事日本人選手として銅メダルを獲得したのは、当時陸上自衛隊に所属していた円谷(つぶらや)幸吉さんでした。
日本で初めて開催された東京オリンピック閉幕後、一躍英雄となった円谷選手は、各地で大歓迎され次のメキシコオリンピックでは、金メダルを獲れるぞ!ともてはやされ、国民の期待は異常値を越えていたようです。
その後の円谷選手の活動をある文献から引用しますと次のように書き記されております。
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( 中 略 )
しかしその後、円谷は周囲の期待に応えるためにオーバーワークを重ね、
持病の腰痛が再発。
さらに左足、そして右足と続けざまの、アキレス腱切断というケガに見舞われた。
手術を受け、次のメキシコオリンピックに向けて練習に励むが、
病状は一向に良くならなかった。
人一倍責任感の強い円谷は周囲の期待に答えられないまま、苦境におちいる。
国策優先のため、結婚もできず、信頼していたコーチもいなくなってしまった。
4年後、メキシコシティ五輪の開催年となった1968年、円谷は自衛隊体育学校宿舎の
自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺。 27歳の若さだった。
その時、円谷は首から東京オリンピックで獲得した銅メダルを下げていた。
遺書にしたためた家族達への感謝と
「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」
の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、また円谷の関係者ら多くの涙を誘った。
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いかがでしょうか。私たちが感動し、勇気を与えてもらっているアスリート達の活躍の裏には上記のような過酷なプレッシャーがあることを私たちは知る由もありません。あまりにも円谷選手が気の毒でなりません。ご両親の悲しみはいかほどであるか、無念で無念で仕方ないと思います。
今では考えられないですが、1960年代の日本においては、オリンピック選手の意識は、自己犠牲をベースに『お国のために・・・!』 という考え方が主流であったような気がします。
誰のためにあなたは頑張れるんですか? と訊ねられたら即座に『日本国のために!』 ということがまかり通っていたんでしょうね。近代オリンピックの基礎を築いた創立者クーベルタン男爵は、“ オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある ” とおっしゃったようですが、現実はそんなに単純なものではありません。
ただ今回のピョンチャンオリンピツクでの日本人アスリートたちの各コメントを聞いた時に、誰一人として 『 お国のために!』 と言葉を発した方はおられなかったのではないでしょうか。
「ここまで育ててもらった両親に感謝します!」 とか 「周りの仲間にサポートしていただいたお陰でメダルが獲れました!」 とか 「監督・コーチに感謝します。厳しい指導の中で同時に優しさを頂きました!」 とか、競技仲間同士で「あの人がいたから目標にここまで来られた!」 「被災地の皆さんに勇気と元気を与えることが出来て大変うれしいです。」 などなどであったと思います。
オリンピックのモットーである 「より早く、より高く、より強く」 という技術的な進歩と同時にメンタルな面でも進歩してきているフェアなスポーツの世界を私は愛します。そうあるべきだと思います。2度と円谷選手のような悲劇は起こらないよう願います。お国のために・・ではなく、チーム
ジャパンとして頑張っていただきたいと思います。
「金メダルは、とても名誉なことで嬉しいですが、メダルを通じてこれからどういう人生を生きていくかがさらに大事であると思います。」 と女子スピードスケート500m金メダリスト
小平奈緒選手は語っています。競技外においても人格者として有名なアスリートです。
先日の決勝時においても、銀メダルになった韓国 李相花(イ・サンファ)選手への思いやりの様が感動的でした。母国開催のオリンピックで錦を飾れず、期待に応えられなかったことで李選手は応援してくれた国民に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったかもしれません。号泣しながらも謝罪の意思を示す李さんに小平選手は声をかけながら、優しく手を背中に回して慰め励ましておられました。
54年前、円谷選手にも小平さんのような良きライバルである友を持っていたのなら、と悔やまれます。この二人のシーンに、私はそれぞれのお国を越えたアスリート達の仲間意識
『チームワーク』 をみたような気がしました。
今回のピョンチャンオリンピツクで各競技ごとにドラマがあり、目を潤ましたことが度々ありました。辛い思いで練習に取り組み4年間というスパンの中で一つの目標を目指す姿、私たちの仕事の世界も同じです。毎日、毎日、辛くて同じ仕事の繰り返しです。そして、その中で仕事の喜びを見い出すことは至難の業です。
しかし、同じような環境・現場で従事する者同士が共に助け合い、励ましあい、アドバイスする姿を今回のオリンピツクでのドラマを重ね合わせた場合、私たち仲間も共に涙し、笑顔を見せ合い出来るのではないかと思えてくるのです。
仲間って、楽しい事、嬉しい事を2倍にも3倍にもしてくれます。そして、悲しい事、辛い事を半分にしてくれます。そんな仲間をいっぱい拡げていきましょう。そうすれば、人生が楽しくなってきます。
今回小平奈緒選手が 座右の銘 としている言葉を彼女から今後私の課題としてぴったりの贈り物を頂きました。このフレーズは、私にとって人生の金メダルになると思います。この世に命ある限りこの言霊を大切にしていきたいと思っております。今は亡き「インド建国の父」と言われるマハトマ・ガンディーの言葉をご紹介して、今月の投稿を終えたいと思います。
今月もご覧いただき誠にありがとうございました。