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8月号 『 生きかた上手 』 Ⅴol.102

 8月号 『 生きかた上手 』 Ⅴol.102



みなさん、こんにちは!今月の徒然日記を投稿したいと思います。

 



 いやー、みなさんこの暑い中、2017年夏ギフト販促お疲れ様でした。約3ヶ月に及びましたお中元ギフト期、成果はいかがでしたでしょうか。私の方は、この夏倉庫と配達でしっかり汗をかき、約 2 Kg の減量を達成いたしました。( 本来の成果の意味が違いますけどね・・・)



 肝心の東大阪店の方では、全体売上的には3ヶ月[6~8月]昨対98.7%、利益額ベースでは、酒税法改正に助けられ、昨対107.9%を確保できました。ギフト関係では、酒類ギフトが昨対101.5%で、食品ギフトが81.6%ということで、残念ながら諸事情の関係で満足のいく結果とはなりませんでした。



 まだまだ努力不足は否めませんので、この秋のお彼岸ギフトから年末の冬ギフトへ向けて、スタッフ一丸となって回復させていきたいと思っています。



 そこで先日まずはギフト以外に、新米や日本酒ひやおろしなど、秋の味覚フェアとしてお店全体の模様替えを実施いたしました。残暑まだなお厳しい時期ですが、東大阪店の雰囲気は、秋一色です。

 



 最近、各スタッフも基本四原則なるものを徐々に理解し、積極的に実践するようになってきたように思えます。店舗も倉庫も以前よりは、はるかに綺麗になってきており、ゴミがあれば率先して拾い上げ処分する。また倉庫においても整理整頓が励行され、商品管理が 『見える化 』 されてまいりました。



 よって、商品の廃棄ロスも少なくなってきており、カイゼン意識が功を奏しております。ただ、店舗の来店客数の減少に対して、品揃えとボリューム感との相関関係で、迫力ある売場展開が出来ていないのが気になるところです。廃棄ロスを恐れすぎると、売場に楽しさやワクワク感が演出しづらくなるからです。



 この矛盾するところに頭を痛めているのですが、まあ取り敢えず清潔で整理整頓された売場には、何とかなってきているのではと思っております。あとは、スタッフの商品知識や接客力を高めることにより、『安売りのお店 』 から、値ごろ感のある 『相談できるお店 』 へと変身させていきたいと思っております。







 さて、話はガラリと変わりますが、先日二日間をかけて東京へ久しぶりに出かけてまいりました。目的は、姪っ子の結婚式に出席するためでした。式場は、帝国ホテル東京
で久しぶりに格式あるホテルに宿泊し、翌日結婚式に参列いたしました。

 



 宿泊時、客室からの眺望は、なかなかのもので目の前に皇居があり、国会議事堂や各大手企業の本社ビル群があり、首都東京のど真ん中にこのホテルは在るんだなという実感でした。そして式当日、朝食をとるにあたっていくつかの有名食事処(割烹なだ万など)
がありましたが、ふと某TV局のクイズ番組でバイキング料理についてのQ&Aがあったのを思い出しました。

 



 と言いますのも、バイキング料理という食事スタイルは、今から60年前に日本で初めて発案されたものであるというのです。その発案されたお店が、帝国ホテル東京の16
F インペリアル・バイキングレストランということらしいのです。以下、いつものウィキペディアでの解説をご覧ください。



 



 大きなテーブルに多種類の料理をまとめて並べ、客が各自で好きなものを好きな分だけとり皿にとって食べる形式の料理で、北欧の長く厳しい冬の期間に、人々が食料を持寄って食べたことに始まるといわれる。



 東京都千代田区にある帝国ホテルに1958年にできたレストラン、インペリアル・バイキングで、北欧の食事方法スモーガスボードをまねて、日本で初めてこの形式を取り入れたとされる。



 「バイキング」 は、8世紀から11世紀にかけてスカンジナビア半島やデンマークから船で海を渡ってヨーロッパ各地に侵攻したノルマン人で、この語をこの形式の料理の意で用いるのは日本のみでの用法。



 レストランの開業時、当時公開されていたアメリカ映画 「バイキング」 のなかの船上で食べ放題というシーンに着想を得て、帝国ホテルの社内公募により名づけられたという。



 



  ということで実際に食してみますと、朝食というよりは、ディナーでもいいのかなというクォリティの高さで、出張時私がよく利用するビジネスホテルの朝食バイキングとは、格段の差がありました。本当にいい食事をさせていただきました。







 さて、前置きが今回も長くなりましたが、今月のテーマは 『 生きかた上手 』 とさせていただきました。このフレーズは、ご存知の方もおられると思いますが、先月106歳というご高齢で他界されました東京聖路加国際病院名誉院長であられました日野原先生の著書タイトルであります。



 日野原先生の100歳を過ぎてからのご活躍は、以前から存じておりましたが、この7月にお亡くなりになられたあと、NHKの特集番組を見た時に、あらためて先生の
『 生きかた 』 の凄さに感銘を受けました。早速、その 『 生きかた 』 発見 のため、著書を購読したかったのですが、お中元期ということで、のびのびになっておりました。



  この度の東京行きに際して、行き帰りの新幹線で約5時間ほどの時間がありましたので、今回のタイトルであります 『 生きかた 上手 』 を読ませていただきました。

 



 今回は、読書後の感想とその内容を自分に照らし合わせた場合、自分の中でどのような心境の変化があったのかをお話しさせていただきたいと思います。



 その前に、日野原氏のプロフィールを前もってご紹介したいと思います。



 日野原重明先生のプロフィール

      日野原 重明 (ひのはらしげあき)



 1911年山口県生まれ。

 1937年 京都帝国大学医学部卒業。1941年 聖路加国際病院内科医となる。以来、内科医長、院長代理、院長を経て、学校法人聖路加国際大学名誉理事長、聖路加国際病院名誉院長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長などを歴任。


 1998年東京都名誉都民、1999年文化功労者、2005年文化勲章を授与される。 早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護教育に尽力。成人病とよばれていた病気について「生活習慣病」という言葉を生み出すなど、常に日本の医療の先端を走ってきた。

 2000年9月には、これまでの人生で培った経験や過去の教訓を次世代に伝えることを目的に、75歳を過ぎても元気で自立した人を募り 「新老人の会」 を結成。同年春から「生きかた上手」の連載を開始。

 2001年に刊行された『生きかた上手』 は、この連載をまとめたもので、ミリオンセラーとなる。2013年4月、新たな書下ろしを加えた 『生きかた上手新訂版』
が、いきいき株式会社(現・株式会社ハルメク)より刊行される。

  また同年10月には連載「生きかた上手」から珠玉の言葉150を集めた『死を越えて』が発刊された。2016年10月には105歳を迎えた記念に初の自叙伝『僕は頑固な子どもだった』を刊行。

 2017年7月18日逝去享年106 歳



 晩年の日野原は100歳を超えてスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送っていた。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしたという。

 命の続く限り現場に立ち続けるという信念をあくまで貫いており、生前には少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしていると語るほどであった。



      といった具合で、何ともはやスーパーマンもビックリポンであります。

 



 さて私事になりますが、今年の3月で私は、67歳になりました。これから日野原先生を目指すとあと40年生きなければなりません。本当にスゴイことです。これからの40年間の生きるエネルギーは、どのように発電備蓄し、スパークしていくのか、見当もつきません。



 そこで、先生のおっしゃる生き方とは、自然体ということらしいです。自然に活動し、営みを重ねていく中で生きるパワーが生み出される。本の中で、度々出てくるフレーズが、育む・癒し・健康・出会い・感謝・謙虚・成熟・希望・安心・気力などなどです。いわゆるその言葉に対する
『 考え方 』 というものを常に養っていく事で、晩年の生きかたのあり様が見えてくるのだと教えられております。



 私は、7年前の60歳にドリーム本部の代表を西田社長にバトンタッチいたしました。だといって、すぐには従来の仕事からリタイアするのではなく、徐々に業務の引継ぎなどを実施してまいりました。そして、その時期に読んだ本が、五木寛之氏の
『 人間の覚悟 』 でした。

 



 その中にあるいくつかの言葉の一つに 『下山の哲学 』 というものがありました。この徒然日記にも何回がご紹介したことがあると思いますが、要は人間の一生には当然ピークというものがあって、50代・60代を境にかっこよく、なおかつ悟りを意識しながら、下りの人生を有意義に過ごすのだということを掲載されておりました。その内容に共鳴して生きかたを少し修正してみました。



 余生をどのように楽しく過ごすか、適度な仕事をこなしながら、そして仕事でもプライベートでも出来るだけ前面に出ず、黒子に徹するよう自分なりに努力しようとしました。(恥ずかしながら、現実はそのようになってはおりませんが・・・)
しかしながら、3年前事態は急変いたしました。ドリーム東大阪店の現場従事に就いたからであります。



 当初現場のお手伝いという感覚で入店したのですが、現場というものは、そんなに甘っちょろいものではなく、やればやるほど疲労困憊の日々が続いております。人生設計として65歳過ぎてから、下山の哲学としての悠々自適の余生 は、どこへやら・・・ですわ。



 そんな毎日が、この2年間自問自答しながら続いていたのですが、今回の 『 生きかた上手 』 を読んでいく中で気づきました。中途半端な生きかたは、やめよう!そして、もう下山という概念を捨てよう! と。年齢は関係なし!やはり私の酒屋人生は、上を向いて登るのみかな と覚悟を決めました。



 とはいえ、耳は遠くなり、目は翳みますし、体力の減退は避けて通れません。バイクでの配達もこの2~3年が限界ではないかなと思います。それでも率先垂範して若い連中と一緒に酒屋業を営んでいきたいと思っております。技術・体力はどんどん劣化していきますが、気力だけは誰にも負けない。それを私の
『 売 り 』 にしていきたいと思います。



 現在の私には、加盟店の皆さんや本部スタッフに対しても、かつてのような的確なアドバイスは、もうできません。タイムリーな情報や時流に対しての対処法など、もうそのような能力は持ち合わせておりません。ただ皆さんの手本としてなりうるのは、日野原先生のように100歳を過ぎても感謝の気持ちで周りの方々へのお役立ちをしたいという一念で、現場第一主義を貫徹することだと認識させられました。



 私自身の今後あるべき姿として、今現在、体力の限界を感じつつも現場で力強く従事されておられる加盟店様の皆さんの手本となるべき 『 気 力 』 満 載 の現場人でありたいと思います。そして、羽曳野市の脇田さんや尼崎市の水上さんや姫路の上田さん等々、同世代の方々から、「あの井上が、まだ頑張っているんだから、私もがんばるぞ!」
と言ってもらえるよう日々精進してまいりたいと思います。



 今回、『 生きかた 上手 』 の内容をうまく皆さまに説明できませんでしたが、是非とも時間があれば、購読していただきたい一冊だと思います。特に我々のような高齢者の方々には、お薦めいたします。いずれ何年か先にいよいよこの世の終わりと思える時に、あらためてじっくりと読み返してみたい書籍でありました。



 最後に、日野原先生が残された言葉をいくつかご紹介して今月の投稿を終えたいと思います。



    今月もご覧いただき誠にありがとうございました。