7月号 『 風が吹いて~いるぅ~♪♪ 』 Ⅴol.42
みなさん、こんにちは! 今月も徒然日記を投稿いたしたいと思います。
今月のテーマは、『 風が吹いて~いるぅ~♪♪ 』 とさせていただきました。
ご存知、NHKロンドンオリンピック・パラリンピック放送テーマソングとして3人組音楽グループ『いきものがかり』が歌っている歌詞の一節です。
そこで今回は、、いよいよ始まりましたスポーツの祭典 『 2012 ロンドンオリンピック 』 関連のお話しをさせて頂きたいと思います。
その前にそのテーマソングを歌っている『いきものがかり』のグループについてお話をしたいなと思います。
私が、『いきものがかり』の歌に注目したキッカケは、やはり月並みですがNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の主題歌からでした。
それまでは、たまに耳にするぐらいの存在感で、ボーカルをやっているお姉ちゃんが「なかなか歌唱力のある爽やかな歌い方をする女の子やな-」という感じでした。 そんな中で、大ヒットとなった「ありがとう」の歌が流れてきたのでした。
さらには、先述の歌の迫力や透明感だけでなく、その歌う歌詞の内容に即刻心打たれたものでした。もし皆さんも機会がありましたら「ありがとう」の歌詞の内容をじっくりご覧になって、心をひと時でも和ましていただきたいと思います。
さてここで余談になりますが、皆さんすでにご存知であると思われます彼らのグループ名の由来について簡単にご説明したいと思います。
まあ、そんな具合で今回のオリンピックテーマソング『風が吹いている』へとつながっていくのですが、この歌のまた歌詞がとても良いんですね。
今回NHKの依頼で、このオリンピックのために水野さんが作詞作曲されたんですが、スポーツのジャンルにとどまらず、私たちの仕事に取り組む心構えや姿勢、更には人生のあり方、歩み方にまで拡げて見ていると本当に勇気や元気を与えてもらえる作品だと思います。
さて、2012 ロンドンオリンピックのお話しをしましょう!
いよいよ7月27日の開会式に始まって8月12日の閉会式まで、17日間の競技が行われる訳ですが、毎年一年一年参加国も増えて、今年は204の国々と地域から約一万人以上の選手がロンドンに集結しているそうです。
日本からは、約300名超の選手たちが『日の丸』を背負ってこれから試合に臨む訳ですが、それぞれの選手がここに至るまでには、それぞれ300通りの栄光と挫折のドラマがあり、そしてこれからの17日間の中で集大成である究極と帰結のドラマが生まれる、それが4年に一度のオリンピックの醍醐味のように思えます。
これから17日間、夜中眠いのに目をこすりながら、しっかりと日本から彼らにエールを送りたいと思います。そして彼らを応援することが、自分自身が元気になっていくような気がしてなりません。人々は、スポーツの祭典やどんなお祭りでも一緒になって楽しんで、そしてみんなで元気になりたいものなんです。
さて話しは、今から48年前にさかのぼります。 そう、1964年東京オリンピックの年です。
私が、今までの人生の中で克明にオリンピックを覚えているのが、1964年東京オリンピックからでした。ちょうど14歳の中学生の時代でした。
ある日、学校から帰ると親父が何を血迷うたのか、当時とんでもなく高価であったカラーテレビを買っていたのでした。価格は、今でも覚えていますが約30万円ほどで、真空管入りのサンヨーカラーテレビ20インチ型でした。
昭和39年ごろの大卒の初任給が、約6万円ほどでしたから、今の液晶テレビの価格と比べると本当にとんでもない価格であったと思います。
もうお分かりだと思いますが、カラーテレビを買った理由は、東京オリンピックを見るためでした。
そして、1964年10月10日。東京オリンピックの開会式が始まりました。開会宣言は、今は亡き昭和天皇でした。我が家には、恐らく20人以上の人が集まっていたような記憶があります。それから、連日私の友達やら、近所のおっちゃん、おばちゃんやらと『千客万来』の勢いでした。 兄の友達などは、頻繁に晩飯まで食って帰ったという有様です。
肝心の酒屋の店舗には、誰もおらず、テレビのある二間続きの座敷には、いつも人だかりで母親がお茶菓子を出したりで忙しくしておったのを覚えております。 ただカラー放送時間は、まちまちで金メダル候補の種目だけに限られており、白黒放送の方が大半を占めておりました。
今思えば、オリンピックや大相撲・プロレスなど、そのひとつひとつの対戦にみんなが一喜一憂する、その一体感というか、すごくシンプルなことに幸せ感を味わえた時代でした。 昭和レトロというのか、本当に懐かしい限りです。
さて、その東京オリンピックですが、調べてみると先ほどのロンドンオリンピックに比べて参加国は、95、参加人数は、約5000人ということで、ちょうど今回の半分の規模であったと記されております。
メダルの数は、当時のソビエト連邦が96個、アメリカが90個、そして東西統一ドイツが50個、つづいて日本で29個という結果で、やはり当時の経済大国が上位を占めていたようです。
ちなみに中国は、ベスト10にも入っておりませんでした。北京オリンピック金メダル獲得No.1に輝いた中国を見るとやはりスポーツのレベルも国の豊かさに象徴され、新旧交代というか時代の栄枯盛衰を痛感いたします。
日本人の金メダリストとして特筆されるのは、当時『東洋の魔女』と呼ばれた「鬼」の大松監督率いる日紡貝塚の女子バレーボールチームの大活躍ぶりでした。宿敵、ソ連を決勝で撃破して金メダルを獲得した試合は、今でも脳裏に焼きついております。ちなみに当時のテレビ視聴率は66.8%という驚異的なものでスポーツ中継としては、未だに破られていないということです。
という訳で、オリンピックのお話しといってもロンドンの話しではなく、私の思い出話になってしまい申し訳ありません。ただ、紀元前から古代オリンピックがあったように、世界各国今昔に関わらず人々の営みの中に常にスポーツというものが存在していたというのは間違いのないことだと思います。
スポーツというものは、勝敗も含めて筋書きのないドラマであるといわれております。そこに選手たちは人生をかけて挑戦し、そして私たち観客は、そのひたむきで一生懸命な姿を見て感動し、拍手を送る一大ページェントであると思います。
今回は、特段仕事に関しての話題やエピソードはありませんでしたが、次回8月号は「2012 お中元商戦」の総括や下半期における取り組み方針を打ち出す秋季研修について、お話しいたしたいと思います。
最後になりましたが、近代オリンピックの生みの親であり、あの五輪のマークを考案したフランスのクーベルタン男爵が語った有名な言葉をご紹介して今月の徒然日記を終わりたいと思います。
アスリートも我々商売人も立つ位置は、同じでありたいと思います。
今月もご覧いただきまして誠に有難うございました。