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7月号 『 上杉鷹山(ようざん)って人物、ご存知ですか?』

7月号 『 上杉鷹山(ようざん)って人物、ご存知ですか?』

 みなさん、こんにちは! 今月も徒然日記を掲載いたしたいと思います。

毎回、月末に追われるようにして『徒然日記』を投稿しておりますが、やはり気にしていた事が指摘されました。和歌山えがわ店の江川さんから6月号の投稿欄で “ もっと早く掲載してください!” というお叱りの言葉をいただきました。いつものことながら、直球の御意見ありがとうございます。

江川さん、そして全国の読者の皆さん、申し訳ございません。言い訳になるかもわかりませんが、本当に何やかやと忙しくて・・・、でもやはりいい訳ですね。 ここでキチッとお約束しておきます。 8月号は、8/10に掲載いたしますので今回は堪忍してください。本当にすみませんでした。

 何か言い訳と釈明から始まった7月号ですが、内容について頑張って投稿いたしますので、それはそれ、これはこれ、としてご理解いただきますようお願いいたします。
  

さて、今年のお中元期もピークが過ぎ一段落と思いきや 猛暑の毎日が続いております。 私どもの業種にとっては大変有難いことで、 この暑さが今年のX´masまで続かないかな・・・ と願うのみです。 
 しかしながら、地球規模で考えれば、 とんでもない事で昨今の自然現象、 また政治・社会不安など何かスッキリ感のない 不安定な世の中だなと感じ るのは私一人ではないと思います。

商売にとっても日増しにアゲインストの風が吹き、商業環境は最悪の事態となっております。でも、一生懸命やっておれば何とかなります。一生懸命やっておれば何かを見つけ出す事が出来ます。それが『人間の知恵』なのです。「歯を食いしばって(奥歯が欠けるぐらい・・・)頑張るも良し」「今の苦しさを嘆くのではなく、楽しく仕事をしようと無理やり考えるのも良し」、いろいろなパターンがありますが、何せ一生懸命やっておれば、何とかなります。

 ただ世の中、そんなに甘くはない! とおっしゃる方もたくさんおられる。その通りだと思います。私も先週までそう思っておりました。 しかし、10年ぶりに昔読んだ本を3日前に読んだ時 「やはり一生懸命やっておれば何とかなる」 と悟りのような境地に至りました。 本当に本の力ってすごいですよね。

 その書籍が『 上杉鷹山に学ぶ 』 (三笠書房) 試練の時 --- 何をすべきか、どこまでやれるか です。鈴村 進 氏が著者なんですが、彼の「まえがき」の中の文節を引用しますと、

 “なぜケネディ大統領は、それほどまでに鷹山に心酔したのか” から始まり、内容は、“かつて第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。”

 ・・・・・ 「あなたが、日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」
         これに対して彼はこう答えている。 「 それは、上杉鷹山です。」

第42代大統領 ビル・クリントンも然りで、かつてのフランス首相クレマンソーは、「健康さえ許せば、日本へ行ってこの思想家と話しをしてみたい」 と述懐したといいます。   ・・・・・

 私も話をしてみたいですね。 ただし、この方は、江戸時代中期の米沢藩(今の山形県米沢市)の藩主ですのでお会いする事はできませんね。 

 余談になりますが、今春の日経新聞の記事で、40代男子サラリーマンにアンケートした内容が掲載されておりました。 アンケート内容は、『日本の歴史上の人物で、あなたが今お酒を一緒に酌み交わしたい人は誰ですか?』でした。ダントツの1位は、「坂本龍馬」でした。2位は「織田信長」、3位は「徳川家康」等でした。その時、私の考えもまったく同じで、龍馬と一緒に『酔鯨』を飲みながら、一晩中語り合いたいなと思っておりました。

 今は、それよりも「上杉鷹山」と飲みたいなと思っております。ただ鷹山は下戸で、タバコは吸うが酒は飲まなかったようです。でもせめて彼が当時創設した学問所藩校『興譲館』(現山形県立米沢興譲館高校)で講義を受けたかったなと思います。

 さて、前置きが長くなりましたが、ではその『上杉鷹山』とは、どんな人物でどんな改革を断行したのか という事なんですが、そこに私たち経営者や商業活動に従事する者たちにとって学ぶべきものがたくさんあります。

 詳しくは、この本を購読して理解していただくのが一番早いのですが要約しますと、・・・といっても250ページの内容をダイジェスト化する文才は私にはありませんのでネット検索で、フリー百科事典「ウィキペディア」で掲載されている内容の一部を転記したいと思います


上 杉 鷹 山 (うえすぎ ようざん) (1751~1822)

      

  上杉鷹山は、江戸時代中期の大名である。 出羽国米沢藩(人口10万人)の第9代藩主。 幕府に対して領地返上寸前(倒産寸前)の 米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として 知られている。 ( 中 略 )
 新藩主に就任した鷹山は、先代藩主が任命した家老らと 対立しながらも自ら質素倹約を実践しつつ、 土を耕し帰農を奨励し、作物を育てるなどの民政事業を行った。 また藩士・農民など身分を問わず学問を学ばすため 藩校『興譲館』を開校し人材の登用を奨励した。 鷹山存命中の藩政改革は、多岐に及び幕府から 美政を讃えられるほどの健全財政が実現したのは、 鷹山の死の翌年(文政6年)であった。  ちなみに鷹山が藩主に就いた(当時15歳)時点では、 藩の借財は20万両(現在の価値にして140億円)で あったのが、文政6年には借財ゼロ、 さらには軍用金5000両をはじめ、 不時に備えての備蓄を持つに至ったのである。

以上のように、今の民主党や自民党の政治家たちに実践してもらいたい事をすでに200年以上前に鷹山は、ビジョンを掲げ、そして実現させていったのであります。では、具体的に・・・・となりますと本当にいろいろとありまして、詳しくは今後月例エリア会議やリテール時また秋季一泊研修など様々な場面で事例を具体的にお話したいと思います。また、投稿欄でもご質問にお答えしたいと思いますので感想等も加えてお書込みいただきたいと思います。

 最後に、この本の著者 鈴村 進 氏の文節の一部をご紹介して今月の『徒然日記』を終わりたいと思います。
 
 「上杉鷹山の政治および経済政策は、ただ施策として優れていたばかりではない。 その底には、無比の誠実さと謙虚さ、そして人々に対する慈愛の心が揺るぎなく根を下ろしていた。 それによって藩士並びに領民の意識革命が着々と実現されていったのである。
 そこでは、経済活動の活性化と礼節の高揚とが、表裏一体となって推進されていった。徳のあるところに富が生まれる、それが米沢藩をよみがえらせる強いバックボーンとなったのである。
 上杉鷹山の藩政をひもとき、その根底にあるものを詳細に学ぶならば、そこには時代を超えた真理があり、日本的経営の源流が脈々として鼓動している。われわれはその新しさに驚かされる。これこそ、今や全世界からの注目を集めている行政および経営哲学の真髄であろう。」     

〔 P.S 〕 私が本を読み終えて感ずるところ、鷹山が行った改革を3つに分けてみました。

      ① 事業活性化のための産業振興策 
      ② 藩内行政に対して、現場視点での事業仕分け
      ③ 藩士および領民のモチベーションアップを目的とした意識改革推進

      *具体的な施策については、機会があればまたお話しましょう。
                              井 上