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9月号    『 さようなら 有限会社イノウエ 』    Ⅴol.139

9月号    『 さようなら 有限会社イノウエ 』    Ⅴol.139



 みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿いたしたいと思います。

 



 ♪♪ め~ぐる~巡る季節の中で・・・♪♪ 松山千春の歌詞じゃないですけど、今年も天高く馬肥ゆる秋が巡ってまいりました。先日まで残暑厳しい9月だなと言っていたのに最近は朝晩めっきり冷え込んできましたね。みなさん、昼夜の寒暖差がある時期ですので風邪などひかぬよう用心していただきたいと思います。



 こういう私も先日まで少し熱っぽかったのですが、気合いで何とか持ち直し、事なきを得ました。これからの季節は、コロナに加えインフルエンザの流行が予想されますので注意していただきたいと思います。私もすでに70歳を越えましたので、先日かかりつけの医院でインフルエンザワクチンの予約をしてまいりました。



 年が年ですので健康については自己管理しながら、来たるべき年末商戦に向かって準備していきたいと思っています。以前お話ししたと思いますが、聖路加病院の故日野原先生のおっしゃった言葉で、『 人生死ぬまで現役 』 というのが私のモットーですので、みんなに嫌がれながらも、しがみついてでも仕事は続けていきたいと思っております。



 過日、総務省が敬老の日に向けて発表したデータによると、65歳以上のお年寄り4人に1人が定年退職後も就業しているとのことでした。私も含めて全国総人口に占める65歳以上の人口は、過去最高で3617万人(昨年より30万人増)で全人口の3割近くに及んでいるとのことでした。



 いまの日本経済、各企業において人件費の削減が叫ばれ生産性向上のため A I の活用など合理化が推進されている訳ですが、片方では少子高齢化が加速している世の中でいかにシルバー人材の活用が重要であるか、経済界全体が真剣に取り組んでいただきたいと切望いたします。



 年金暮らしのお年寄りが就業することにより可処分所得が増え、個人消費が促進される訳ですから是非とも高齢者の働くシーンの創出を考えていただきたいと思います。そして、個人消費と言えば先日の日経新聞に次のような記事が掲載されておりました。

 



 いかがでしょうか。という事は、我々の取り扱う酒類というものは家庭用・業務用需要の違いはあるものの総需要として景気の悪化や社会的なマイナス事案があったとしてもさほど悪い影響はないとの判断がなされます。現に全国の加盟店様の売上状況を拝見させていただいても業務用に比重がかかっているお店以外は昨年並みの数字をクリアされているのがほとんどであります。



 それともうひとつ各店好調の要因は、『脱アルコール依存症』 であります。酒類オンリーに固執することなく我々の特性である地域密着性・顧客密着度を活用した店頭精米やギフトカテゴリー・飲料水強化を地道に実践されている結果ではないでしょうか。



 世の中デジタル化を推進する中、新しい働き方改革と銘打って本格的なテレワーク時代に変わっていくであろうと様々な分野で提議されております。 例えば、従事のあり方として出来るだけ三密を避けて首都一極集中型から地方への分散型移行が推し進められていく流れであります。
密を避ける 』 という事であります。我々のスタンスは感染予防をしながらも 『 密をさらに深める 』 ・ 『 ソーシャルディスタンスを縮める 』 という事で、まったく逆転の発想であります。



 そのギャップがこれからの ビジネスチャンス につながると思うのです。人は人との関わりを生理的に求めるものです。お客様から自然と近づいてもらえるお店作り、逆にこちらからお客様に近づいても受け入れていただける人間関係性をさらに深めていきたいものです。そのためには、信頼されるための
器づくりを研鑽 していかなければなりません。ともに磨いていきましょう!(特にお米・炊飯に関しての知識向上は不可欠です)



 さて前置きが長くなりましたが、今月のテーマは 『 さようなら 有限会社イノウエ 』 とさせていただきました。いよいよ数日後10月1日より、ドリーム東大阪店の母体有限会社イノウエが社名及び代表者変更されます。



 新社名は前回も報告させていただきましたように株式会社アクトコーポレーションであります。代表者は店長の松藤隆俊が就任いたします。

 



 思えば今からさかのぼること46年前、私が24歳の時に個人商店イノウエ酒販から有限会社イノウエへと法人成りを実施いたしました。その時のスタッフは、明治生まれ80歳の祖父井上辰蔵と私だけの二人でありました。年商規模も今のレートで換算するとおそらく2000万円ぐらいであったと記憶しています。



 父親は私が小学生のころに不動産業に転身し、酒屋業には関与しておりませんでした。そして長年酒屋を支えてきた母は私が18歳の時に他界いたしましたので、本当に風前の灯火のようなお店でありました。酒屋では生活が成り立たないので父親が毎月祖父に生活費を補填しているといった状況でありました。



 父親は社員5名ほど雇用し分譲住宅の販売を手掛けて大きな商いをしていましたので、十分なほどの生活力があったのですが、祖父はリタイヤすることを嫌がり、大正時代に創業した酒屋で死ぬまで働き続けるといった具合で明治気質の頑固な爺さんでありました。



 そんな生き方をする祖父を見て孫である自分が酒屋を継ぐことを決意した訳です。またそれは亡くなった母の遺志でもありました。一本義な祖父でしたので、毎日口喧嘩をしながらもちょっとずつ売上規模を大きくしていきました。



 そして24歳になって法人化し、形のうえでは若くして会社の代表者に就任いたしました。株式会社にしたかったのですが、当時の会社法では、資本金が1000万円以上という事だったので (現在は資本金1円から設立できます) 24歳の私には到底お金の段取りが出来ませんでした。



 父に頼めばすぐに貸しては貰えたのですが男の意地と申しますか、親父には負けたくない頼りたくないという思いがあり、そこで有限会社なら出資金150万円で設立できるということでしたので、何とか工面して司法書士の先生に依頼して1974年(昭和49年)にスタートいたしました。



 その後、売上規模の拡大と共に社員を増員しながら33歳の時には、年商1億円に到達し、40歳の時には2億円へと拡大していきました。スタッフも私を含めて4名で配達業務をこなしておりました。そうして訪れた1993年(平成5年)私が41歳の時に(ちなみに本厄でした)宅配売上を全て捨てて現在地に移転し、店売り100%の酒DSドリームを開業した訳でございます。



 その後、ドリーム東大阪店を何とか27年間営業し続け現在に至っております。思えば酒屋の三代目に生まれて今もなお酒屋を続けている訳でございます。職業履歴としては単純なものなのですが、そのプロセスは波乱万丈、本当に自分でも驚くほど破天荒なものでありました。



 2020年、有限会社イノウエを立ち上げて46年いよいよお別れであります。始まりがあれば、必ず終わりがあります。この46年間は酒販業界にとっても波乱万丈でありました。第一次オイルショックでは消費者の買い占め騒動などで店頭から全ての商品が無くなったこともあります。



 そして定価販売の撤廃や小売酒販免許の自由化などの影響で、当時全国で13万軒あった酒屋さんが今では4万軒ほどになってしまいました。自店が業態変更しながらも何とかここまで生き残れたのは、その46年間の中で出会った酒屋仲間、そして何よりもその時代時代の中でこんな我が儘な経営者である私を支えてもらえた社員やスタッフのおかげであると今強く思うところであります。



 その出会いの経緯やスタッフとのエピソードを語れば、延々と何日もお話ししていく事になります。まさしくこの46年が私の酒屋人生すべてであったと思え、そして今こうして懐かしく語れる自分が幸せ者であるなと喜んでおります。



 今後は松藤新社長のもとドリーム東大阪店の一スタッフとして裏方作業と経理事務を中心として冒頭にありましたように 『 人生死ぬまで現役 』 を貫き通したいと思います。そして何年か先には、今月のテーマのフレーズから、有限会社を削除したものになる時期まで、残された時間を精一杯生き抜いてまいりたいと思います。



 今後とも皆様方におかれましては、新生ドリーム東大阪店のスタッフに対しまして今まで同様ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして今月の投稿を終えたいと思います。



  今月もご覧いただきまして、誠にありがとうございました。





 (P.S) ドリーム・酒匠米匠チェーンにおきましては、加盟店様の悩みの相談室として

     自分自身の体験を活用した法務・財務のアドバイスを引き続きさせていただく

     所存であります。何かありましたら、いつでもご連絡ください。