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4月号     『  平成時代を振り返る  』   Ⅴol.122

4月号     『  平成時代を振り返る  』   Ⅴol.122



 みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿いたしたいと思います。



 さて世間では、街並みの風景も桜の花が散り、お次は藤の花やバラの花、さらにはチューリップが満開となる季節に移り変わってまいりました。10年ほど前、この時期に北陸地区の加盟店様への出張時に砺波市のチューリプ公園に立ち寄り、100万本以上のチューリップ畑に感動したのを今も鮮明に覚えております。

 



 自然界と言うのは正直なもので、季節が巡り巡っても、うっかり忘れもなく毎年同じようにわれわれ人間に感動と癒しを与えてくれます。同時に昨年の熊本地震や大阪の暴風雨など自然の脅威と恐ろしさも容赦なく振りかざしてまいります。



 そのような避けて通れない自然の良し悪しを懐深く受け止めて、人の営みが繰り返されているんだなとつくづくこの季節の変わり目に思うところであります。



 さて話しは変わりますが、いよいよ平成も残り数日のみとなりました。T V や新聞でも連日報道合戦を行っておりますが、この徒然日記でもこの30年余りを端折って、その振り返りに思いを寄せてお話しさせていただきたいと思っております。



思い起こせば、かれこれ30年の歳月となりますと、余りにもたくさんの事がありすぎて書ききれないのですが、今回は『 平成時代=ドリーム誕生時代 』 という事で仕事関係を中心にお話しいたしたいと思います。

 



 さて1989年 平成元年は、私は働き盛りの39歳でありました。正直申しますと、どちらかと言うと遊び盛りと言った方が正確だったかもわかりません。とにもかくにも、仕事も遊びもエネルギッシュに活動していた時代でありました。



 当時、屋号はイノウエ酒販という事で、店舗立地が悪く、業態も100%宅配専門のお店でありました。一日の来店客数は、僅か3~5人ぐらいで、逆に配達件数は配送車が3台ありましたので、一日40~50件ぐらいはあったと記憶しています。社員は、番頭格の川口君とその他男性社員2名、女性事務員1名といった布陣でありました。



 その時代は、全国的にまだ酒DSが蔓延していませんでしたので、定価格でお酒が販売することが出来ておりました。当時年商が約2億円、粗利益率が21.0%ほどでしたので、人件費を中心に経費を差っ引いても十分に営業利益は確保されておりました。



 にもかかわらず、平成3年に多額の借金をして店舗移転 し、酒DSに業態変更しようとしたのか という事でございますが、当時われわれの酒販業界にも時代の流れと申しますか、大きな変革期に突入していたのを自分なりに予兆 した と今となれば思い起こすことができます。

 



 当時、『とまとコール』 という宅配酒販店のチェーン組織 ( 約450店舗 ) に加盟しており、その組織のまとめ役として活動していた立場から、再々関東地区のメンバーと情報交換会のため上京しておりました。その中で目の当たりにしたのが、東京市場での酒DSの台頭 でありました。



 その規模と迫力とに圧倒され、カルチャーショックを体感しながら帰阪したものでした。その後、コンサルティング会社の 『船井総合研究所』主催の全国酒DS視察セミナーに幾度か参加しながら、来たるべき酒販業界の変革構図を知るため情報収集してまいりました。

 



 そして、いよいよ店舗開業候補地については、当時今西社長(現ドリーム長田本店) からご提案をいただき、41歳の厄年に開業の決断をしたという経緯があります。そして、その1年半後の平成5年4月24日(土)にオープン という運びとなりました。



 いつもお話ししておりますが、今西氏同様私の30代から40代にかけての人との出会いというのは凄まじいものがあり、初めてお会いする一人一人の方々にパワーとヒントを頂いてまいりました。あれから現在に至るまで激動の時代を乗り切り、今があるのは全てお会いした方々のおかげであると心より感謝いたしております。



 そして、オープン後平成6年ごろから、かつての酒屋仲間 『 とまとコール 』 の関東のメンバーから酒DSにチャレンジしてみたいという要望が寄せられ、その相談にのっていく中で、船井総研から酒DSの 『フランチャイズビジネス( FC ) 』 をスタートしてみてはいかがですか と提案され、その後ビジネスモデルを考察し、構築していったのが、今のドリーム本部誕生の流れであります。

 



 今考えてみますと、このFCビジネスによって全国に地元で頑張る元気な酒屋さん仲間が組織化され、現在に至っております。もし、ドリーム東大阪店が単独店として2
~ 3店舗の支店展開を事業化していたならば恐らく今の東大阪店は倒産していたと推測できます。その理由の一つとして、個の力には限界 があるからなんです。



 当時、船井総研には高額な指導料を支払いましたが、やはりその値打ちはあり、その提案によって自分自身の運命も開かれたように思えます。この平成時代において、自分がやり遂げたことは、様々な出会いやプロセスの中で、仕事も人生も仲間づくりに東奔西走しながら一生懸命活動してきたことにあると思います。そして、それが今につながったと思っております。



 かつては仲間に頼られ、今では仲間に助けられ、仲間に頼っている自分があります。そのためにも、今の私に出来る 恩返しとは何か と問いかけると、数日後からスタートする 『 令和の時代 』 になった時に、我々の業界がこれからどのように変遷し、そして我々はその移り変わりに対して、どのように対処していくのかを私自身の立場で皆さまに一石を投じて議論していく事だと思っております。



 かつて30年前に次なる時代の兆しを予見する、いわゆる 『 予兆 』 したように、今のそしてこれからの時流をどのように受け止めて分析し、 『 令和の時代 』 のお客様に対処していくのか、そして変革を遂げていくのかが新元号に変わるこの時期だからこそ、真剣に考えなければならない課題であると自分自身に言い聞かしております。



 そのためにも、常に 『 現場第一主義 』 を貫き、お客様目線で物事を判断し、何よりも自分ひとりの非力さを痛感することにより、全国の仲間の存在とバイイングパワーを活用しながら、常に議論や情報交換を交えることで、自然とあるべき姿がカタチになってくるのではないかと確信いたしております。



 そして、今後30年先のある時に『 令和の時代 』 を振り返り、あの時がターニングポイントだったなと思える時が必ずあります。(その時、すでに私はあの世の人になっていますけどね) その思えた時に必ず登場し、浮かんでくるのが、その事象に影響を与えた
『 出会いの人 』 であることに気付かされます。



 さあ、皆さんはこれからの仕事、人生の中でどのような人々と出会いがあるのでしょうかね。そんなことを考えるとワクワクしませんか。常に私は、それを人生の楽しみと考えています。これからも老若男女、いろんな方々との出会いを大切にしていく中で、仕事・人生の活路が見いだされ元気がみなぎってくるものと大いに期待いたしております。



 さあ、いよいよやってまいります『 令和の時代 』 、どのような楽しい事、 どのような苦しい事が待ち構えているんでしょうかね。今後の行動のあり方として、はっきりしているのは、常に 『 耳の情報収集力 』 ・ 『 口の情報発信力 』 を強化 し、常に時代の変化を予見し、先手を打てるよう努力していかなければならない事であると思います。



 ということで、いよいよスタートする 『 令和の時代 』 、私もあと5年は長生きしたいと思いますので、それまでみなさん今後ともお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。



 



 最後になりましたが、去り行く 『 平成の時代 』 を先日天皇陛下がご在位30年式典でのお言葉の中で、日本国の平和について述べられた一文をご紹介いたしたいと思います。



 「・・・・(前略)・・・・・ 平成の三十年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において はじめて戦争を経験せぬ時代 を持ちました・・・( 後略 ) 」 と述べられました。



 明治・大正・昭和と各時代においては、忌まわしい不幸な戦争という出来事があり、そして平成は大変な自然災害の連続でありましたが、国内において戦争やテロによる犠牲者のない平和な時代であったと総括しながら、平成の時代に感謝と共に別れを告げ、今月の投稿を終えたいと思います。



         今月もご覧いただき誠にありがとうございました。