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4月号  『  時 代 の 流 れ  』  Ⅴol.110

 4月号    『  時 代 の 流 れ  』         Ⅴol.110



 みなさん、こんにちは! 今月の徒然日記を投稿したいと思います。



 さあ皆さん春ですよー! と先月号で冒頭お話いたしましたが、たった1ヶ月で今月は、さあ皆さん夏ですよー! と言ってしまいそうな今日この頃であります。毎年思うことですが、本当に春の期間が短くなってきました。

 



 やはり地球温暖化の影響なんでしょうね。最近は、北極圏でも雨が降り、氷山もどんどん溶けていっているようですね。地球、このまんまで大丈夫なんでしょうか。私の存命中は何とかなるでしょうけど、22世紀の地球 は、ちゃんと機能しているのでしょうかね。余計な心配ですけど・・・。





 さて、4月月末と言えば桜の花が散り、その後に続く花が、「藤の花」 チューリップとなります。そんな訳で、満開の藤の花を観がてら、久しぶりに茨木市の酒匠米匠こやま店 にお邪魔してまいりました。店内は相変わらず整理整頓され、お菓子・飲料水中心にしっかりとボリュームも出され綺麗な売り場となっておりました。



 ただ奥様が足の具合が悪く、かつて長年ご主人と共に月一回早朝ポスティングをされてこられたのですが、今後は新聞折込に変更しようかとか、その他店売り頭打ちの中で外販をさらに強化するため、どのようにすればよいかとか、いろいろと意見交換させていただき元気印の檄を飛ばして帰ってまいりました。

 



 帰り際に、ご丁寧にお土産まで頂戴いたしまして本当にありがとうございました。そして訪問目的の一つでもあります見事な藤だなの下で、しっかりと垂れた花の香りを楽しませていただきました。藤の花の花言葉は「優しさ」「歓迎」であります。まさしく小山家のみなさんの人柄を反映した日本古来の花々を堪能してまいりました。





 その後、岐阜から愛知に向かい夜7時からの愛知エリア会議に参加いたしました。毎月、翌朝に帰阪するのですが、今回は東海北陸自動車道を北に上り、久しぶりに富山のドリームメンバー3店 (東となみ店・小矢部店・稲荷町店) に訪問させていただきました。各店、決算月も終わり、その内容のヒアリングや今後の営業方針などを意見交換させていただきました。

 



 特に小矢部店の本多オーナーとのやり取りの中で、今から22年前平成8年にドリーム小矢部店をオープンさせた時代にさかのぼり、お互い懐かしく苦労話に会話が弾みました。現在地の店舗へ酒販免許の移転許可をもらうために砺波酒販組合事務所に出向いた時の話です。



 当日、組合の理事長・副理事長・専務理事など7~8人待ち受けておられ、入室と同時にある一人の方から “ お前の入れ知恵で、酒DSを開業するんであれば、とっとと、大阪へ帰れ!” と富山弁で怒鳴られスタートした話し合いでありました。まだまだ閉鎖性の強い地域、時代でありましたので本多氏と共に平身低頭、土下座までしながら許可のお願いをしたいきさつがあります。



 結局話し合いは、物別れで終わりましたが一応筋は通した形で、次は高岡税務署酒類指導課へと移動し管理官に対して免許下付のお願いをいたしましたが、これもまた門前払いという厳しい状況でありました。その後、紆余曲折いろいろとドタバタしましたが、最終的には、2ヶ月後許可が下りました。



 オープン後は、酒組合の影響力で定価販売が当たり前になっていた地域でありましたので、酒が安く買えるということで地域の消費者にとっては当然ありがたい存在となり、結果大盛況。先駆者メリットということで、一年後追随した酒屋さんもおられましたが泣かず飛ばずであり、現在では当時罵声を浴びせた組合幹部の方々のお店は、ほとんど廃業されておられるようです。



 『 時代の流れ 』 なんですね。ただ、話しはこれからなんです。その次に本多氏との会話の中で、度々出てきた言葉が、「昔は、良かったな~」 というフレーズであります。あの酒DSバブリーな時代から、早や20年余り、今となれば酒販免許は自由化され、消費税が導入された影響で酒税を徴収する酒屋の存在理由も希薄化し、お酒はどこでも買える商品となり、さらにお酒は安いのが当たり前の時代になってまいりました。 『 時代の流れ 』 なんですね。



 かつて小矢部店のように地域の強者が、今では弱者になってしまった訳です。そこで話しは更に盛り上がりました。われわれ経営者は、泣き言は言ってられません。弱者になれば
『 弱者の戦略 』 を取ればいいんです。そう、あのランチェスターの 『 弱者の戦略 』 なのです。その内容は、このコラムでも度々ご紹介してきましたので、今回は割愛しますが今月お話ししたかったのは、時代の輪廻転生であります。

 

   仕事も人生も全てにおいて、時代と共に

  スパイラル状にまわり、回っているのです。




 そこで、雰囲気を変えてこのタイミングで中島みゆきさんの 『 時 代 』 の歌詞をご紹介したいと思います。

 

  



 この歌は、彼女が23歳の時に作詞作曲したものであります。皆さんは、ご存じでありましたか?彼女のこの歌詞に込められた壮絶な体験のことを・・・。中島みゆきさんのお父さんは、北海道札幌市で産婦人科の開業医でありました。彼女は23歳の時にこの歌で歌手としてのスターダムへ一気に駆け上がるのですが、ちょうど同じこの年にお父様が脳溢血で倒れ、そしてその後亡くなられたのでした。



 “ 今はこんなにも悲しくて涙も枯れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけど・・・ ” と歌いだしは絶望感を感じさせるものですが、そのあとは “ そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ・・・” と前向きな内容に変化しているのが読み取れると思います。



 それから歌い継がれて40年以上、今なおこの歌に共感する人々が全国各地におられます。それは、この歌詞に込められた人生の普遍性のものがあると私は思います。そして仕事においても、苦しい時、悲しい時にこの歌を口ずさむと何か勇気が湧いてくるのです。



 辛いのは、自分だけじゃない。そしていつかまわり回って笑える時が必ず来るんだと思える何かがこの歌詞にこめられているような気がします。小矢部店の苦境は、今の東大阪店でも一緒です。今回、北陸へお邪魔いたしましたが、皆さん一様に元気で明るかったです。そのことを共に感じあえたことが大きな収穫となりました。



 この訪問を契機に、これからもしばらくご無沙汰しております全国の仲間のもとへ定期的に訪問させていただいて改めて仕事の原点、人生のあり方というものを見つめ直させていただきたいとお願いいたしまして今月の投稿とさせていただきます。



     今月もご覧いただき誠にありがとうございました。